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ギリシャ人はビザンツ帝国の夢を見るか

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ギリシャ人はビザンツ帝国の夢を見るか/生存

おれの名はニケフォロス・パレオロゴス。
ギリシャは新しい世紀を迎えた。
しかし、バルカン半島側の国土を統一して30年をすぎてもなお、領土主張している2つのステート-AegeanIslandsとCyprus-を取り戻せないでいた。
これに国民は不満を募らせていた。
国内にいるトルコ人たちもまた、異民族でかつては被支配民族であったギリシャ人による「国民国家建設」
に対して反感を抱き、分離主義をかかげて闘争を始めつつあった。
動乱の世紀がいま始まる…。

予兆

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わが国でファシストの活動が確認された。
ファシストは共産主義者と同じぐらい闘争性が強く、危険な存在だ。
彼らは現在の国内・国外情勢にかなり不満をもっているようだ。

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そうした連中が街頭で政治活動を活発化させているものだから、反動主義者がファシストに合流し始めているらしい。
非常に危険な傾向だ…。

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Southern Serbiaで危機が勃発する。
セルビアをイギリスが、オスマントルコをドイツが支持し、イギリス側にはオーストリア=ハンガリーとフランスが、ドイツ側にはイタリアが参加する。
どちらも引かず、大戦となった。

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イギリスからの参戦要請があったが、ギリシャはこれを拒否。
そりゃそうだろうな。ドイツと戦うなんて、ギリシャには無理なことだ。
圧倒的な力を持つドイツによって、フランスとオーストリア=ハンガリーは壊滅状態となった。
戦争はほぼ決したといっていいだろう。
ドイツはフランスからフランシュコンテを割譲させる。
なかなか容赦ないやり方だ。
フランスはしばらくは立ち直れまい…。

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第3回のオリンピックが無事終わり、第4回のオリンピックへの参加が打診される。
ギリシャの人々は長く続いてきた平和がこのまま永遠に続きそうに感じていた…。

開戦

1909年5月3日。いつもと変わらない朝。
誰しもが昨日と同じように、今日を迎えるものだと考えていた。
だが、その平穏は打ち破られる。

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突然だった。
オスマントルコ帝国は、連中が言うところの「ギリシャによるトルコ人同胞への迫害・差別行為を永遠に除去し、トルコ人の民族自決権を守る」ことを理由にギリシャに対して宣戦布告を行う。

(・∀・)メフメト5世「ギリシャみたいな弱小国になめられてたまるか。EastMacedoniaをよこしな!」

ギリシャは直ちに国防戦争を宣言。総動員をかけ、トルコ軍の侵略に備える。
だが、ギリシャ軍は国防予算を削られていた関係で指揮統制値が現状で低い。
国土での防衛戦闘を主にしなければならない。
国際的には、イギリスとポルトガルがギリシャ側に立って参戦。
オーストリア=ハンガリーは先の大戦での被害が大きかったのか、参戦を拒否。
オスマントルコ側は衛星国ワラキア、モルダビアが参戦。(ドイツ、オランダは参戦せず。)

どう考えても、オスマントルコ陣営の軍勢をギリシャだけで引き受けなければならないようだ…。

(´・∀・)メフメト5世「かわいそーにな。国土蹂躙してやるわ。おとなしく降伏したら?」


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