てなわけで続編。
数ヶ月進めると、アルゼンチンが兵力を2まで減らしていた。これは獲得するしかないでしょ。
3対2なら勝てる。チリとか・・・いえ、なんでもない。
宣戦布告。ブラジルとウルグアイが参戦。
怒涛の勢いで勝ち進み、Tucumanも要求。まあブラジルはCorrientesを要求してもらって構わないでしょう。ブラジル人も多いですし。
そして、BBRを使って木材が取れるChaco割譲を追加。
その後、ボリビアが屈辱を追加したり、ウルグアイがSanta Feを追加したり、取引の自由が完了したり、そんなこんなで終戦。
アルゼンチンの人口は開戦前の半分になってしまった。威信も32まで上昇。
そして、ついでに海の入り口拡大でAreguipaを要求し単独でペルーに宣戦。
1840年になったんで、観念論の研究を開始。
早いこと列強入りと民主化をしたい。
1841年8月に観念論が完了。