両シチリアから見る世界

リソルジメント (1867~1887)

刻は迫る

列強落ちを避けるにはイタリア成立しかないだろう
予定ではもっと後で行う予定だったので研究面で不安が残るが強行するしかない。

と思っていたらフランスと同盟成功確立が「どちらともいえない」(Maybe)になっている!
すぐ要請したところ一発で成功!ツキはこっちにある!

開戦予定の4月になり、部隊の配置を完了
ここで参戦予定の陸軍戦力数を比較をする(両シチリアは参加予定、フランスは本土にいる数)
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両シチリア 77(総数102)、フランス71(総数143)、プロイセン25、他イタリア中核国の合計が10くらい
オーストリア82、オランダ47、他勢力圏国、 イギリス→対中国戦をしているのでおそらく参戦しない(来たらリロード)
スウェーデンが両方と同盟しているが・・・おそらく問題ない

こちらの戦力配置。1師団が歩兵3騎兵1砲兵1で構成されている
主力40連隊、フランス、イタリア諸邦と攻めあがる予定。本土に歩兵、騎兵からなる12連隊の予備兵力を配置
支援25連隊、プロイセン軍とともにプロイセン領を防衛しつつ敵首都を狙う、オランダへの対応もこの兵力で行う
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どちらも最初は防衛戦で敵を消耗させる予定
海軍はおそらく海上封鎖くらいしかやることが無いだろう

外交戦

開戦日を4月12日に決定する、しかしこのままだとプロイセンとスウェーデンが参戦しない事が発覚する。
そこでまず単独で宣戦布告し同日イタリア諸邦とフランスに外交画面からそれぞれ同盟宣戦を要請
翌日フランスが参戦するとimpossibleだったプロイセンとスウェーデンがそれぞれMaybe、Likeiyに変わるので同盟宣戦を要請するという形をとる

統一戦争

4月12日オーストリアに宣戦布告。もちろん目的は統一戦争である
予定どうりに同盟国を参戦させていく(1度プロイセンが参戦せずやり直したが)。スウェーデンはどちら側にも参戦しなかった。
一方オーストリア側は英国は予想どうり参戦せず。さらにオランダも参戦しなかった!
これで勝利を確信したがミスに気づく。

敵動員兵を忘れていた! 
総動員をかけたオーストリアは兵数が2倍以上まで膨れ上がった。
さらに技術差により敵軍のモラルはこちらの1.2倍ある上に、補正の優秀な将軍までいる。
これによりプロイセン支援隊は撤退を余儀なくされ、主力部隊は国境で行われた10万対7万の会戦こそ勝利するも補給のために後退する。
一方海軍は海上封鎖を行うためにに派遣した鉄甲艦が敵艦と遭遇、敵はフリゲートと輸送艦だったため勝利。しかし敵の大部分を逃がしてしまう。

同盟国はフランス、プロイセンともにオーストリアの同盟国の占領を行っており、
イタリア諸邦は敵地に進軍しオーストリア軍に攻撃されつつも占領を開始
そのため国境の同盟国領地は占領されてしまい。両シチリア軍は敵の合間を縫って弱っている占領中の敵(動員兵?)に戦いを挑み、
勝ったらすぐ撤退をするというゲリラ戦のような戦いを半年ほど続けることになる。オランダこなくてよかった…

9月ごろ、南部戦線でフランスがオーストリア領内に進入したことにより戦況が大きく改善される
一方プロイセン領内では動員を含め25連隊ほどを有していたオーストリア側のバイエルン王国に奥深くまで進入を許し、両シチリア軍が対応を行う。

年内にシチリア側のパルマ、オーストリア側のバーデンが白紙和平を行った
日本を勢力圏に追加、どうせだしこの戦争にも参戦させる。遠すぎて何もしてこないけど。
Iron Muzzle-loaded Artilleryの研究に移行

1867年に入ると大きな戦闘も無くなり各地で占領を開始する。オーストリア軍の反撃も無く3月14日Lombardia開放で和平する。
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また中国が切り取られている…

イタリア成立!

すべてのイタリア中核州を領有するか勢力圏に入れることでイタリアは成立する。
今ここに両シチリア王国を中心としたイタリア王国が成立した!
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あれっ?パルマ…
ロードしてやり直したらちゃんとはいった。ビビらせんな

これにより列強順位がオーストリアを抜いて6位になった。
失業している工員がたくさんいるので年内は内政従事だろう。蒸留酒もわずかながら手に入るようになったので砲兵も作れる
ブラウンシュヴァイク公国から同盟を打診されたので承諾

DECISIONS

イタリアになるとDECISIONSにカヴールの外交と未回収のイタリアが追加される。
 カヴールの外交はサルデーニャからの引継ぎでLombardiaがサルデーニャの中核州になる代わりに、
Savoieがフランスコアとなりフランスに割譲され、イタリアとサルデーニャの中核指定が解除される。また威信が増え汚名が10減る。
サルデーニャでやるならともかく?イタリアでやる必要はまずない(よっぽど汚名を減らしたい時くらい?)。
 未回収のイタリアはオーストリアの4ステートがイタリアのコア領土になる。デメリットは特に無いので実行するべき。
今やっても休戦期間中に報復感情(Revanchism)が無駄にあがるだけなのでやらないケド。

次の戦いに向けて

USAがひとつになっていた、戦争中で通知を見逃したらしい
スペイン相手に日をさす場所(植民地割譲)のCBが発生、しかしフランスの勢力圏内だったため何もできずCBが無駄に。

1869年中国を勢力圏に編入、これでようやく蒸留酒が大量に手に入るようになる。悩んだが同盟も結ぶ
ソコトに宣戦布告

1870年機関銃を即研究、さらに1月になると同時にNFが3つに増えるこれは・・・植民地大国を作れということか!
現象学と解釈学の研究を開始
ソコトにZaria、North Cameroonを割譲させ和平
南マダガスカルと北マダガスカル区分のちっこい島をステート化
NFを植民地化で各地に配置

1871年無機化学の研究に移行

1872年上質石炭 の研究に移行
ロシアを抜き、列強順位5位になる

1973年規格部品の研究に移行
このころまでにコロンビア、ブルジョア独裁になっていたポルトガルを勢力圏にする。

1874年鉄製鉄道の研究に移行
コロンビアがエクアドルに中核州の奪還で宣戦、同盟宣戦を求められたので10連隊送り込む。奪還させて和平

1875年軍事統計学の研究に移行
未回収のイタリアを実行。南トロール、ヴェネチア

1876年陸軍意思決定の研究に移行
精密加工を発見し、ようやくパナマとスエズに運河を作れた
パナマには工場も建てれるようだ。しかも最初から人口の1割程度が南イタリア人、逃がさないよ(ニッコリ
プロイセンを抜き列強順位4位になる
フランスが殖民を開始、拠点防御戦術の研究に移行

第一次普墺戦争

1877年オーストリアに屈辱を与えるのCBが発生
CBを獲得するとこっちの威信が5下がった、メリットあまりない気もする

ロシアと同盟していたがオーストリアに中核州回収と屈辱で宣戦することに、
3月11日に開戦、ロシアは来なかった。両陣営のの陸軍の動員込み総数は
オーストリア241、バイエルン等同盟あわせて40
イタリア254(動員なし)、プロイセン100、ブラウンシュヴァイク公国2、これに加えて来ないであろうポルトガル、コロンビア、日本、中国
フランスとの同盟はいつの間にか切れていた。
今回も組織率で敵が上回っていたが、全軍イタリア領に配置して入れ替えながら押していく

列強としてのパレードに外国人を~というイベントが来た。戦中なんですけど
イギリスがロシアに領土要求で宣戦

序盤は追い掛け回して
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ぐるっと攻囲に切り替えていく
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1878年1月の様子、ロシアが押してる!
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オーストリア戦は占領が中心となっていく。バイエルンとザクセン王国相手に白紙和平
市場機構の研究に移行
10月にオスマンがロシアに宣戦。これでフランス以外の列強が何かしらの戦争をしていることになる
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終戦一ヶ月前、痺れを切らしたのかポルトガルどころか遠路はるばるコロンビアと日本がやってくる
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12月13日にヴェネチア、イストリアの割譲、屈辱で和平。
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イギリスとロシア白紙は和平してた。

開戦前77いたオーストリアの正規軍が30程度になった
と思ったらオーストリア・ハンガリー二重帝国に変化、俺のせいか

彼らはどうやって帰るのだろう…
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拡大、経過、好機

1879年
世界地図
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ロシアが不凍港を持っているのがポイントだろうか?その分列強に戦争を吹っかけられているが(というかイタリアと同色・・・)
植民地競争はすでにフランスがいくつか完成させている。一方イギリスは手すら出していない。

列強順位
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イギリスよりもフランスがやばい工業点伸びすぎ、最もイギリスはインドと中国を持っているのでこれからが怖いが。
8ヶ国で見るとオスマンが復活しているのがポイントか、にしてもイタリア以外開始時点の列強である。

ベルギー、フランクフルト・アム・マインから同盟の打診があり承諾

1880年現象学と解釈学を研究、無機化学の研究に移行
オスマンとロシアが白紙和平。アメリカがメキシコと白紙和平、長引かせすぎ
コンゴ会議が発生、BBR2が嫌なので参加をやめようと思ったら史実でイタリアが参加していたので参加
コンゴがオーストリア・ハンガリーの属国として独立、あの国には植民地ないからいい塩梅か
フランスがソコトに保護国成立で宣戦布告、
我が国も急いで同様に宣戦、国境にいた部隊を展開し先に占領し併合

1881年電気の研究に移行

1882年蒸気タービンの研究に移行

1883年社会科学の研究に移行

1884年半自動化の研究に移行
中央アメリカ連邦共和国を勢力圏に入れる

1885年内燃機関の研究に移行
NFが4つになる、植民地化に使用

1886年鋼鉄製鉄道の研究に移行

1887年兵站学の研究に移行、その後陸軍危機管理の研究に移行
ジョホール相手にカットダウンのCBが発生
6月、英国がフランスにTogoなるステートを求め宣戦布告!

蒸気輸送艦をイタリア本国にかき集める、生産も行い70隻にする


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