両シチリアから見る世界

超大国への階段 (1888~1893)

第一次伊英一年戦争

1888年2月8日英国にムガル帝国のfree peopleで宣戦布告

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イタリア、プロイセン、日本、ポルトガル、フランクフルト、中国、中央アメリカ、コロンビアからなる同盟
尚ブラウンシュヴァイクは参戦拒否
イギリス、ベネズエラ、オレンジ共和国、他イギリス植民地の皆様からなる同盟
オランダ、オスマンが参戦拒否

陸軍連隊数 イタリア614、中国809、イギリス548 またイタリア海軍の主力は鉄甲艦45隻

イギリスの軍事力を削がなくては(使命感)
マシンガンのおかげで防衛側が圧倒的に有利な時期としてはこれがラストであろう
イギリスがフランスと戦争している期間を逃すわけにはいかない。

最初に、1個師団は歩兵系5、騎兵系2、砲兵2、砲兵or工兵1 計10連隊で構成されています
また戦中鉄製後装砲の研究に移行

同盟各国だけでなくイギリスが総動員を行い、827連隊に変化

英領インドと接しているパンジャブ、シンド国境には将軍つきの2師団を貼り付けておく

イギリス近海に輸送してあった7個師団を英本土に上陸開始、さらに30隻の鉄甲艦で一部の海上封鎖を実行
上陸後突撃してきた常備軍らしき部隊と戦闘、包囲を含め6師団で戦う。4月に殲滅

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その後南部の占領と防衛主体の戦闘に移行

アフリカ北部ではフランスと協力しながら敵を攻撃、しかし占領場所は渡さない
シンド、パンジャブでは徹底的に防衛戦を行う、追撃はほとんど行わない。

6月にカットダウンのCBがあったジョホールに日本のみを召集し宣戦布告、帆船で1師団送る
また中国でもイギリスとの先頭が激化していた。同盟国なので朝鮮から兵力を送れることに気づき急いで中国に増援を出す。

英本土の状況、ポルトガルって戦争好き?しかも中国戦線にも陸軍を派遣していた

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日本、中央アメリカは各地の英領の占領、プロイセンは海戦を行ってくれる。
コロンビアは自分の戦争を邪魔されて迷惑そうだった。

オーストラリアに1師団派遣、またアフリカ南部にも部隊を派遣するもどちらも予想以上に敵が多く返り討ちにされる

戦闘開始時10連隊対17連隊だった防衛戦、将軍もあるけどホント防衛側有利、-604対-52という消耗量の差

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こんな戦いを何回も繰り返す英国ェ…

12月1日英国が要求を呑んで和平提案。戦勝点34
英国の陸軍が827→717に、中国が809→798になっていた。
提案を受諾、対英戦が終わる。

戦後処理

帰還した陸軍を再編、喪失した連隊こそ無かったが30連隊ほどが補充不能かつ定数不足になっており解体。
海軍は大きな損害も無く港に突っ込む

そして今回独立させたムガル帝国(赤線)、なぜこんな国を独立させたのかというと

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イタリア―ムガル―チベットラインで英領インドと英領中国を分断するためである
(チベットを勢力圏に入れないといかんが)
これにより、兵力の移動が非常に困難になる…はずである。
本国領にしないのは戦争時に侵入されないように・・・というよりBRRの関係
異様に軍事点が高い。ついでに他の戦況

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とおもったら英国はインドの兵士を本国にも配備していたらしい
AIでも割と兵士の移動って行ってるのかな

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戦評

結果的には大勝利だがゲーム内の1日を進めるのに1分程度かけ続け、将軍も徹底的に付け替えていた
敵の動員兵もこっちの戦勝点を稼ぐのに使われたし、そもそもイギリスに将軍付の部隊がほとんどいなかったり、
さらには中国が敵兵を大量に引き付け、フランスが制海権を確保したといった部分が大きい。
真正面から英国を相手にするのはもう少し力が必要そうである。あと時間かかりすぎた

領土!領土!領土!

1889年
縦深防御戦術の研究に移行

アフリカ植民地のうち二つが勝手にステート化可能になっていたので実行、本国がそんなに嫌かねイタリア人・・・
鋼鉄製後装砲の研究に移行
カットダウンでジョホールと和平したが毎日0.7ドルしか来ない、貴金属はどこへ
英仏戦争は白紙和平だった

1890年
廉価鉄の研究に移行
12月にようやく「エジソンの電球」が発見される。これが無いと車も飛行機も発見されない

1891年
業務過程の研究に移行
車と飛行機が発見される

対英戦でずれ込んだが6月12日オーストリア・ハンガリーに中核州回収で宣戦布告

面子は大体いつもと同じ、敵は前と同じ4国、オスマンがいたけど逃げ出した
こちら側はプロシア、ポルトガル、ベルギー、フランクフルトのヨーロッパ勢。

海軍 鉄甲艦50隻
連隊数 総勢679のうち本土にいた15師団と占領用の親衛歩兵(Guard)軍団等合わせ約190連隊
対してオーストリアは正規兵85、動員合わせ200程度だろうから十分だろう

…とおもっていたら動員含め320になる、敵の同盟国があわせて50連隊ほど
しかもプロシアは動員すらせず、正規兵31しかいねえ
輸送艦をシンドとモロッコに植民地兵を回収させに行くが、その間にも動員直後の敵に突撃させて発生した戦闘の数的差が約3倍に
集めすぎだろ

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ここで負けるわけにはいかない…イタリアは総動員を開始、176連隊を召集

海軍は補助艦艇と輸送艦だけながら52隻いた敵艦隊に損害を受けつつも勝利、封鎖を始める

補給の終わった動員兵を動かし始めると一気にこちらのペースに

1892年
フランクフルトが白紙和平
開戦直後から続いていた戦闘が終結し、ほぼ占領しかやることが無くなる(左は取り逃がし、右で包囲殲滅)

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3月23日には動員を解除

オランダにアチェのある島の東側(jambi)の植民地を求めて宣戦布告、敵の同盟は逃げ出す
一気に占領しようと思ったらその島に異様に兵士がいたので退却
封鎖で厭戦を高めつつ本土に部隊を上陸させていく
東南アジアにもオランダ領土がそこそこあるので日本と中国に手伝わせることに

9月30日要塞の無い場所はほぼ占領し終わり、オーストリアと中核2ステートの割譲で和平。
要塞プロビの占領が長すぎてSSは撮り忘れた
たしか戦勝点50くらい、オーストリアの残り連隊数は80くらい(=プロシアにいた部隊)まで減っていた。
イタリアの(パンジャブ人の)損害も多く54の兵士を産出していたプロビが47しか兵士を生み出せなくなっていた

しかしこれにより中核州のすべてを奪回することに成功する。
所謂未回収のイタリアを含むイタリアが完成した。

戦中襲撃群ドクトリン、鋼製蒸気船の研究に移行

1893年
廉価鋼鉄の研究に移行

オランダ本土で敵と追いかけっこを開始、戦勝点を稼ぐ

7月22日植民地の割譲で和平、戦勝点30くらい
BBRも22くらいだったので小休憩。工業化していきたい

8月にNFが5個になる


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