21世紀に輝ける国でいるために
輝ける国 1840年まで
輝ける国 1855年まで
輝ける国 普仏戦争
輝ける国 1869年まで
輝ける国 1870年まとめ
輝ける国 1870年代
輝ける国 ハンガリー独立紛争
輝ける国 ハンガリー独立紛争(前半)
輝ける国 ハンガリー独立紛争(後半) 1880年
輝ける国 植民地
輝ける国 ハンガリー独立紛争後
輝けない国 ポーランドでもリトアニアでもない
輝ける国 ギリシャ解放
輝ける国 アメリカ紛争 1890年
輝けない国 ポーランドリトアニア 1895年
輝ける国 大ギリシャ 1890後半
輝ける国 20世紀は大戦で始まる
輝けない国 ミンスク争奪戦
輝ける国 1910年現況&日本と初激突
輝ける国 タイムアタック 1912年
輝けない危機 和平の予定はなし 1914ー1915年
輝けない地域 ロシアフルボッコ ←1918年
輝ける国 1920年 大規模な戦争が発生
輝ける国 ヨーロッパ情勢は複雑怪奇 ←1921-1922年
輝ける国 1928年から 英独戦争(前半)
輝ける国 1933年 国家分断
輝ける国 1935年 ゲーム終了時の状況
テストも終了したので、ようやくAARが更新できます
そう言っても、エンディングを書くだけですけど…
イギリスにより、強制的に分裂したドイツとプロイセン。
本来は、ドイツ帝国の相続争いが発端で分裂した形だが、ドイツ国民には別の意味があった
もともと、ドイツ民族には西が東を未開とみなす考えがあった。北と南で、同じ民族ではないという考えもあった
国家分裂は、これらのドイツ民族間の民族内の格差を煽り立てる動きを働きかけるようになった
なんで同じ民族として、ひとくくりで扱われるのか!?
この動きに対して、周辺各国は、ドイツ弱体化を目論み、暗黙のうちに協調して介入してきた。
ドイツは、かつてのように、分裂して存在するべきである
周辺大国の動きは、巧妙であったが、民族内対立を煽るため、ドイツ民族の運動家にとっては明らかだった。
この大国の干渉に対して、オーストリア出身の画家志望の男がドイツ統一を目論み、大衆運動を開始した。
この運動は、ドイツ国民の心を打ち、ドイツ民族は一つにまとまろうとした。
それに対して、イギリスの諜報機関は、手を打った。
民族が一つにまとまる動きを行う男がいるならば、その男に消えてもらえばよい
ミュンヘンで行われるドイツ統一を望む大会開始の前日、男の消息が消えた。
ファシストフランスは、この混乱を利用して、ライバルドイツを追い落とすために、男の講和集を作った
偽書「我が逃走」である。
この書で訴えていることは、ドイツ分裂はポーランドリトアニアの陰謀であると・・・
ドイツの視線はポーランドリトアニアに向かった
これに危機感を覚えたポーランドリトアニアはドイツに在住しているポーランド人に対して、ポーランドリトアニアへの帰属を訴えた。
さらに、ポーランドリトアニアは、この男の偽書を作り出した
「我が党争」
この書によると、男は、党派の争いに巻き込まれている
男と対立していた党派はイタリアの後援があったと・・・
ドイツの視線はイタリアに向いた
これに危機感を覚えたイタリアは、身の潔白を訴える必要があった。
イタリアが作った偽書は「我が党葬」
イタリアの後援した党派は、この男を党派を超えて追悼すると宣言した。
ドイツ民族は途方に暮れた。
このころ、イギリスの大衆紙太陽が、次の一説を書いた
ドイツ民族の統一は不可能である。輪が遠そう
ロシア人はせせら笑うように言った。話が通そう
もはや意味不明である・・・
ウォッカでも飲んどけ
そんなころ、ドイツで天然痘が流行した
これも痘瘡ですがな・・・・
そんなジョークとは別に、ドイツは内乱に明け暮れた
194x年。イギリスは新兵器の核兵器の実験を富士山で行った
通称鶏に亭
この実験が富士山を刺激したのか、富士山が爆発した
さらに、この爆発に連動して日本各地の断層が振動した
東海トラフ、フォッサマグナ、東南海、南海・・・・・
これらの地震とそれに伴う津波で、日本および東シナ海に面している沿岸地域が被害を受けた。
これに対し、イギリスメディアは次のように述べた
ユーモアトウキョウ
日本が文明国になりはや50年。
しかし、ヨーロッパ人の意識は変わらなった
この災害に対する支援の輪は発生せずアジアは、非文明国に逆戻りした
イギリスの介入によりアメリカは分裂した
アメリカにあるヨーロッパ移民国家が分裂する中で、インディアンが立ち上がった
この蜂起にアメリカでの利権を失ったフランスが支援した
この戦争をフレンチインディアン戦争と呼ぶことはない。歴史の勉強が不便になるからね・・・
この戦争を元に民謡が作られた
いわゆるアルプス一万尺である
そんなこんなで、大混乱のさなか、イギリスが敵地ニューヨークで核兵器の実験を行った
宣戦布告なしの核実験である。
実験を行ったイギリス曰く、核実験を行うと、その大陸が消滅するので、宣戦布告の必要はないとのことである。
自由の女神の真上で爆発する予定が爆弾はニューヨーク湾に落下し、爆発した
これにより、大量の放射性降下物がまき散らされたため、ニューヨーク近郊は大混乱に陥った。
そして、恐怖を覚えた移民は、戦争からも逃れるため、移住元や、新たな移民先としてオセアニアに逃走した
それにより、2世紀以上ぶりにインディアンがアメリカの地で支配することになった。
なお、ニューヨークは、危険なため22世紀になっても、人類は踏み入れようとしない・・・
イギリスの核実験により、アジアとアメリカが消滅した
さらに、ドイツは混乱により、身動きが取れなくなった。
それにより、ファシストフランスとイギリスの対立が再燃した。
イギリスは、先制攻撃をこなうため、パリに巨大核兵器を落とした
皇帝の爆弾と呼ばれた100メガトンの爆弾により、パリは燃えた
同時刻、英国議会で演説中の首相チャーチルは、皇帝の爆弾による振動を確認して「パリは燃えているか?」と発言した。
議会から外を眺めたある議員が、「あれがパリの火だ」と叫んだと言われているが、そちらは、議会記録に残っていないので、都市伝説かも知れない。
なお、この爆弾の爆発により、パリおよびその周辺は、放射性降下物の汚染が激しく、人の住めない地域となった
フランス政府からイギリスへの抗議の声明は、存在していない
なぜなら、パリとともに、フランス政府が消滅してしまったからである。
その後、フランスでは、複数の政府が成立したが、ドゴールがクーデターを起こした。しかし、統一したフランス政府も、イギリスの核攻撃によって消滅した。
これら一連のイギリスの行為に対して、ヨーロッパ各国から抗議の声が上がった
それに対し、イギリスは核攻撃で答えた。
イギリスは、これを報復の連鎖と記録しているが、記録の文章が抱腹となっているのは、公文書が開示された23世紀のことである。
イギリスにとっては、笑いが止まらないのであろう
これに対し、フランスは、ロシアの奥地でひそかに核兵器を作った勢力がイギリスへの復讐を行おうとした。
この計画は、イギリスに漏れたが、イギリス特殊部隊が現地に押し入った時には、すでに十を超える核兵器が持ち出された後だった。
この後、イギリスに核攻撃をする独立フランス軍の空軍とイギリス軍の間で、バトルオブブリテンと呼ばれる空戦が行われた
最初は実弾の核兵器を積んでいたフランス空軍も、核兵器の数に限りがあるため、実弾を積まないダミーの爆撃機を使うなど、神経戦を繰り返した。
結局、20発を超える核弾頭が、ドーバー海峡で炸裂した。
なぜ、核弾頭の数が、当初より増えているかと言えば、ポーランドリトアニアとイタリアから援助してもらったからである。
この核兵器の融通に対して、イギリスは、防衛のための先制攻撃として、ポーランドリトアニアおよびイタリアに核攻撃を行った。
これにより、世界は核戦争に突入した
その後も、イギリスへの核兵器の空爆は、ドーバー海峡で防がれたが、ドイツの潜水艦Uボートが核兵器を積んだままイギリステムズ川に侵入し自爆した
これにより、イギリスの中枢が一時停止し、その間にイギリスの各都市に核兵器が投下された。
22世紀の現在、イギリスをはじめとする20世紀の大国の主要都市は、すべて核汚染がひどく、人類の生存に向いていない。
22世紀中盤に始まった宇宙移民政策により、地球周回軌道および月面に人類は移住した
24世紀、いまだに地球にこだわる人類を撲滅するために、月面都市およびスペースコロニー連合は、地球に小天体を降下させた。
イギリスが世界で輝いていられるのは23世紀までだったのかもしれない
やっぱり、世界中から恨まれるのが一番気持ちいいですね