テクシャンの反乱

テクシャンの反乱 2章 序曲

 

1848年2月26日

若干収支が安定したので備蓄量を少し増やす。
兵士の食事は豆のスープに肉が一切れプラスされました。
ついでに奴隷制も廃止する。いけないもんね。うん。
これで来るべき内戦の脳内での大義名分獲得。

nolink
 

収支がアレなので機械生産の研究を開始。
終わったら、高圧及び低圧蒸気機関の予定。

 
 

1849年5月30日
BBRが11.5か・・・1960年までに0になるなぁ。

nolink
 
 

1854年9月8日
またまた収支がプラスになったのでさらに備蓄を増やす。
収支プラスっていっても関税MAXで不満ブーブーの予感。
高圧及び低圧蒸気機関が終わったので後装式ライフル研究中。

nolink
 
 

1955年5月14日
国家資本主義万歳。ガンガン拡張、ガンガン建設。
工業力UP!しかも民主制で移民来るし。

nolink
 
 

1958年1月10日
お、今年中にBBR0になる。
さてと。。。次の獲物をとる準備にするか。。。
後装式ライフル研究後、たまっていた研究点で陸軍将校の意思決定を一気に研究。
お・・・2chで陸軍技術についてアドバイスがある。どれどれ。
あ、、、俺、前回一番右が重要って書いておきながら、一番左を研究してたorz
まあ。。。戦争していなかったのでギリギリ助かった。
いままでライフル重視してた。125の人、ありがとうございます。

nolink
 
 

1959年1月5日
よし、準備OK。
補給限界を考慮し分割して侵攻する。
さあ、GOGOGO!

nolink
 
 

1959年9月6日
ふう。やっとおとなしくなった。
これでお隣のステート2箇所に入植できる。

 
nolink
 
 

1960年8月30日
国境に全軍を配置。
さあ、さあ、早く内戦を起こしたまえ。
1860年になったので現実主義を研究中。

nolink
 
 

1961年8月11日
とうとう備蓄100%にしても収支が安定する。
兵士にも毎日腹いっぱい食わせてあげられる。
さあ、テキサスの準備はOKだ。内戦はまだか

 
nolink
 
 

1962年8月3日
中央アメリカから同盟の打診。受諾。
メキシコと戦った時に敵軍をひきつけてくれることを期待する。

nolink
 

もう、再来月にはBBRが0になる。内戦はまだか

内戦の準備もさることながら、1870年のアフリカ殖民に向けてイデオロギー系も研究を開始する。

 
 

1962年11月10日 内戦

nolink
 

ついに内戦勃発。
タイミングを見計らってどちらかの背中を刺すことにする。
多分CSAになると思うが。

 
 

1962年12月13日
少し様子を見てみたが、やはり南部の劣勢はいかんともしがたい。

nolink
 

南部に肩入れして北部に攻め入ることも考えたが、総動員かけられたらそのまま押しつぶされるので南部を攻めることとする。

 
 

1963年3月30日
各軍を細かく分けて展開。

nolink
 

先に占領開始したほうが勝ちだ、ということでどんどん先に進めるテキサス軍。

 
 

1963年3月30日

nolink
 

敵の戦力はほぼ壊滅。
あとは塗り絵ゲーム。

 
 

1963年11月21日

nolink
 

ぬりぬり

 
 

1964年2月3日
ふう。

nolink
 

さて、、、どこを要求するか。

 
 

1964年4月27日
CSAを分断するように3ステート獲得。
3ステート要求したことにより汚名が25を超えたので、終戦と同時にカッチを独立させる。御嬢が怒り狂わなくて助かった。
これで、しばらくUSAのCSAに対する侵攻速度が緩むといいが・・・。
すかさず南部に対する戦費援助を行う。

 
nolink
 

がんばれCSA。次の戦争まで長生きするんだ。
と、同時に外交点を使ってCSAの友好度を下げまくる。

意外と効果は高く・・・・

nolink
 

キターーーー

今後の方針

もう休戦条約なんか無視していくよ!第二次対CSA戦を行う。

次回へつづく

テクシャンの反乱


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