前回のあらすじ
中国分割本格化
列強同士で対立もワンチャン
1900年1月
貯めてた研究点でドレノ技術(海軍左から2番目・5段)・戦車技術(陸軍一番左・5段)・研究点+100%の哲学を研究完了。研究点が余ったので陸軍技術を完璧にする。
1900年は重要技術解禁の年ですから研究点を貯めておくのは基本ですね。
1901年7月
戦車生産解禁の発明がきたのでとりあえず631ユニット戦車を発注。
まあ世界での戦車生産量が低いので少しずつしか作れないんですけどね。
ここらへんでぽちぽち工業の近代化をします。
戦車・自動車・電話・機械部品・電子部品・燃料あたりを主軸にしまうs。
1903年
中国ステートの本国ステート化を開始。
本国ステートにすると、占領された時に敵の戦勝点になるので、敵国との国境に近いところを本国ステート化するのは危険ですが、まあ今の中国相手なら大丈夫でしょう。
1905年10月
ドレットノートの発明がきたのでとりあえず186隻発注。
そんなむちゃくちゃしても黒字をたたき出す日本すごい。さすが工業化。
1906年1月
和平も切れたしBBRも回復したので中国に宣戦布告。目標は当然ステート。
日本「中国、覚悟しろ!」
中国「た、助けて……」
???「させん!!」
日本「誰だッ!?}
オスマン「瀕死の病人と馬鹿にするな、一応列強(8位)。オスマン!」
アメリカ「世界の警察見習い、アメリカ!」
イギリス「そしてリーダーの俺様、大英帝国!」
三国「三国そろって連合国ッ!俺らがいる限り、これ以上の不法な侵略は許さないぞ!」
日本「アメリカとオスマンはわかるが、イギリスは中国侵略してるだろ……」
イギリス「『保護』してるだけだ」
日本「は?(威圧)」
イギリス「『保護』してるだけ」
日本「」
はい、イギリスアメリカオスマンに介入されました。
まだドレノとそれに伴う軍事点が足りなかったっぽい。
しかたがないので白紙講和。
1910年 フランスが同盟を提案してきた。
当然受諾。
1913年
ドレノ量産によって軍事点が約15000点(世界一位、二位のイギリスの5倍)になったので和平やぶって中国に宣戦布告。
今度は誰も介入してこない(当たり前だ)
世界最精鋭の戦車部隊と最新軍艦約500隻を相手にしたい国なんてそうそうないだろう。
すでに戦車部隊がメインになっているため占領にやや時間がかかったが、
宣戦→全土占領→ステート大量要求→和平→撤退してまた宣戦
これを三度ほどやっただけで中国全土を併合できました。
1915年、中国併合完了。
これには世界も苦笑い。
当然BBRは限界突破。だがBBRWARは起こりません。
だいたい中国の南部と沿岸部のおいしいステートは全部日本が食べました。
とりあえず中国人戦車兵を1500部隊ぐらい発注。
次回は現状説明します。文字ばかりじゃわかりづらいだろうし……