全く変化ありません。
トルコがやりすぎてるから周りが動かないのでしょうか?
共産党の一党独裁じゃ多民族国家をまとめることができないようで、やはり自由主義者が暴れ回りました。
ご希望通り民主主義国家になってあげようと思います。
ただ、イデオロギー自体は保守主義が6割超なんですけど…
1909年1月27日
この頃、民主主義国家になったこともあって攻勢主義の支持も回復したようで、ヒジャーズ、チュニス、セルビアを征服していました。
また他国がどういう動きをしてくるかわからないので動きづらいということもありました。
突如イギリスの単独での封じ込め戦争を食らってしまいました。
単独なのでイギリスそのものを屈服させるしかありません。
旅団数では802:549とかなり負けていましたが、その半数以上はインドにあることを考えれば、まだ何とかやりようはあります。
ということでイギリス本土上陸作戦を決行しました。
常備軍の8割近くを投入してイギリス本土に上陸、上陸、上陸…
型にはめました。
序盤戦、相手に毒ガス防御がなかったのも幸いして、かなり押し込めるのが楽でした。
とはいえ、常備軍300個旅団、動員兵300~400個旅団ぐらいいたと思いますが。
和平は1911年12月中旬。
イギリスには北ベンガル・南ベンガル・デリーを割譲させました。
イギリス本土と迷いましたが、主戦場が欧州なので、また封じ込め戦争を仕掛けられた時に本土を占領する余地を残しておくことと、インドパワーを削ぐことで2度と反撃をする気がおきないようにという考えでした。