1846年頃
フランス対スペイン、オーストリア、プロイセンでフランスのカタロニア(バルセロナ周辺)征服戦争が勃発。
軍量では当然スペイン連合の方が多いものの、当然スペインを直接割っていくフランスの方に分がありあっさりカタロニア割譲で和平。
動乱に乗じてか、プロイセン対デンマークのユトランド(半島)征服戦争も勃発。
しかしこれにはイギリス様が介入。これは無理かとおもいきやユトランド獲得。
その後に北ドイツ同盟完成させていました。
中央アジアはブハラがアフガニスタンにアフガニスタンの西側の割譲戦争を仕掛けて見事勝利。
これは地味痛い。
パンジャブで兵力が足りなければアフガニスタンぐらいは保護領化しようと思っていたので。
最悪ブハラとアフガニスタン両方食べるという手もありそう。
でもまだエチオピア、ソコトもあるし、その場の流れでこの辺りは考えよう。
なおオスマンの同盟関係はロシア、オーストリアからロシア、イギリスに変化。
あっさりと第一次両シチリア戦争あたりでオーストリアが同盟を切ってきてしまった。
別にイギリス様の方が頼りになるのでいいんですけど…
目標はオスマン旧領の奪回、ということでロシア、オーストリアへの戦争は不可避なのですが当然こちらよりも相手のほうが兵力多い。
ということで兵力を増やすためにもパンジャブの併合は絶対にしなくてはならない。加えて陸軍技術も最先端を突き進まなくてはならない…
ということになりますが、現状無理です。
まず第一にBBR上の問題。
第二に研究力が低いので文化技術を上げるを優先すると陸軍技術が相手を上回るなども中々難しいです。
ここは一つ長期的な視野で1860年代中頃以降の対オーストリア戦争を目標に内政を進めて行きたいと思います。
(機関銃前に形を決めないと結構面倒くさい)
工業化は識字率が低いので中々工員に進化してくれないので消極的に旧両シチリア領にワインやガラス関係をぽつぽつ立てていきます。
全力で立てても鉄道の開発も済んでいなければ工場の効率化アップの技術も大分後回しになってしまうので。
とはいえ、ある程度素地を作って置かなければ後半伸び悩むと思い、NFを事務員に変えて旧両シチリアに配置。
研究点も伸びるし一石二鳥…でしょうか?
将来的には自由主義系で同化率を上げたいので国民に自由主義者を増やしたいのですが、現状貴族と農民が9割型保守主義です。
しかし、選挙がないのでイデオロギー操作も無理。
一応収入が上がってるのでたまに自由主義者に政権指名をしたりもしていますが。
ということで首都周辺にジャコバンの乱が沸いたら首都を占領させて放置します。
当然反乱分子の抑圧もしません。
さて、上手く行くのやら…
『医薬』を終えたら『実験的鉄道』→『国家と政府』→『国粋主義と帝国主義』→『機能主義』→『生物学主義』→『初期の鉄道』
『国枠主義と帝国主義』を急ぐのは一撃で保護領化できる国が増えるため。
1860年に『経験主義』も解禁するのでそこも忘れずに。
1852年12月頃には『国粋主義と帝国主義』が完成したので早速パンジャブに保護領化目的で準備開始。
BBRは5.1。
征服戦争だと20はかかる可能性を考えるとこのお得感たまりません。
1853年8月20日に宣戦布告。
なお占領はイギリス様が全てやってくれました。
わざわざ作った影響圏はなんやったんや…
一応パンジャブからオスマンに兵力を移動する道は必要だから結果的には必要なんですけどね。
和平は1854年5月上旬。
前に書きましたが、将来の植民地の為に保護領化します。
1855年2月18日に宣戦布告。
1856年6月上旬に和平。
1846年 | 1856年 | |
総合順位 | 忘れてました | 6位 |
威信 | 137(2位) | 169(4位) |
工業力 | 6(7位) | 40(5位) |
軍事力 | 31(11位) | 22(19位) |
識字率 | 18.1%(29位) | 26.3%(24位) |
研究点 | 13.34 | 19.10 |
成人男性人口 | 8.04M(8位) | 12.26M(6位) |
全人口に対するトルコ人比率 | 26.62% | 20.2% |
旅団数 | 23(12位) | 37(11位) |
艦船 | 13(10位) | 13(9位) |
BBR | 14.61 | 11.60 |
軒並み順調とは言えるものの、仮想敵国のオーストリアが旅団数でも上を行っているし、艦船数も当然上。
やはりもう少し兵力を増やす必要がありそう。
また同盟で戦争するのも威信順位が低下してきているので主導権を他国に握られそう。
こちらは威信上昇技術研究する余裕がないので仕方がないとはいえ困る。
ちなみにジャコバンの乱は途中から全く湧かなくなりました。どうしよう。
1850年代~1860年代、AHDで起こりやすいのは需要と供給のバランスがうまく行ってしまって、工場がこれ以上立てても負債しか産まない状況になってしまうことがあります。
これがドイツやイギリス、フランスのような先進国であれば技術を無理やり伸ばすことでなんとかしてしまうかもしれない。
あるいは中国介入をしてマンパワーで凌ぎきる…
しかし中国介入はしないし、技術後進国のオスマン帝国どんなに頑張っても工場で凌ぐのは無理。
植民地の市場拡大までこの嵐を耐えしのぐしかない。
現状オーストリアに戦争を仕掛けるのは海軍と陸軍両面で見て無理のようなので、ここはエチオピアの保護領化で様子を見ることにする。
BBRは5
1858年2月11日に宣戦布告。
1859年1月下旬に併合。
さっそくエチオピア南のリージョンに植民を送る。
技術は『初期の鉄道』を終えた後、『前装式ライフル』→『鉄製の線路』→『経験論』→『戦艦密集ドクトリン』→『奇襲艦隊ドクトリン』→『後装式ライフル』→『株式市場』→『特別紙幣の印刷』→『企業銀行』→『民間銀行による紙幣印刷』→『実用蒸気機関』と進んだ。
農業の効率や工場の効率を上げても供給が多すぎるので結局黒字にはなりそうにもないので徴税方面に力を入れることにした。
そういえば早い段階で植民出来る土地がソコトにもあったことを思い出してソコトにも攻めこむことに決めた。
BBRは4.8。
1859年11月26日に宣戦布告
1860年7月下旬にはザリアを獲得して和平。
そしてまたまた植民。
ついに工場が悲鳴を上げた。建っていた工場は赤字を垂れ流し、国家が助成金を出してもそれを上回る赤字で今度は国家が破綻してしまう。
今まで事務員にNFを当てていたのも問題だったようで一気に失業者が溢れかえった。
仕方がないので赤字の工場を閉鎖し、どれほど効果があるか疑問だが植民地に移民募集のNFを当ててこれを機会に本国ステート化を目指すことにする。
加えてダイナムにも手を出して見ることに決めた。
これで赤字を吸収しきれないといい加減辛い。
1865年1月7日に宣戦布告。
BBRは7.2。
1866年7月中旬に和平。
この時助かったのは中国。
事前に影響圏に入れたおかげで援軍が続々と来てくれた為、補給が届きにくくて単独だとちょっと辛いダイナムでも、スムーズに占領できた。
1856年 | 1866年 | |
総合順位 | 6位 | 6位 |
威信 | 169(4位) | 266(4位) |
工業力 | 40(5位) | 33(8位) |
軍事力 | 22(19位) | 62(12位) |
識字率 | 26.3%(24位) | 42%(21位) |
研究点 | 19.10 | 24.70 |
成人男性人口 | 12.26M(6位) | 17.59M(5位) |
全人口に対するトルコ人比率 | 20.2% | 16.6% |
旅団数 | 37(11位) | 53(10位) |
艦船 | 13(9位) | 10(10位) |
BBR | 11.60 | 17.90 |
ちょっとした大恐慌に悩まされた20年間だったと言う言葉に尽きると思う。
工業力下がってるし…
旅団数はオーストリアを抜きましたが、各植民地に散らばってるのでまだまだ戦争というわけにはいきそうにもありません。
次回植民地に力を入れれば兵士も効率的に使えるようになってくるので、そこからやっとスタートラインといったところでしょうか。
ちなみに移民計画は5年ほど様子を見ましたが、まだまだ移民するほど本国の雇用者が溢れてないようなので結局NFを事務員に戻しました。研究点が少し伸びますし。
財政については徴税技術の成長が決め手のようで未だに工場は潰してますが、何とか上方修正しています。