[[AAR]]
(この章は1873年から1879年までのことを扱っています。)
アフリカをわが手に!
閣下。
1871年、わが国はついに「植民地建設のための交渉術」を発明しました。
いまこそわが国は植民地大国として歩みだしましょう。
その対象はアフリカです!
これはわが国の進出方向を示した地図です。
サヘル以北はフランスやオスマントルコがうるさいので、ほとんど得られないでしょう。
したがって、わが国が狙うのは赤道アフリカおよび南アフリカです。
ところで、植民にはColonial Powerを使うことはすでに述べました。
植民するには、
を植民完了までかけ続ける必要があります。
Colonial Powerは上限が決まっていますし、すでに勢力下にある植民地の維持にも使われていますから、1870年代であれば植民地を建設可能なステートは(日本なら)4ステートぐらいだろうと思います。
ちなみに、上の地図にある「金とダイヤ」「ゴム」については、当初からプロヴィンスで生産されるわけではありません。
プロヴィンス情報を見ても生産物は穀物だったり木材だったりなので、「どこで金なんか取れるんだよ!!」と怒らないでください。
植民地にしてある程度が経過したり、技術を研究・発明したりすると、イベントで「ダイヤが見つかりました」「ゴムの採取が始まりました」といって生産物が変わります。
ちなみに、独立国であるトランスヴァールを勢力下に置くと、「金やらダイヤやらが発見されてえらく栄えているので、いっちょヤっちゃいますか」というイベントが起こります。
征服のCBが与えられますので、さっさと勢力下から追い出して占領してしまいましょう。
ボルネオでは植民でオランダ*2と衝突することが多いのですが、アフリカではなぜか衝突がめったに起こりません。
ただし、後期(1870年代後半)にはフランスやイギリス、オスマントルコ(列強だったり準列強だったりで、アフリカ北上を企図するとわりとめんどくさい相手)などと衝突が起こります。
なんとか速攻で赤道アフリカはおさえましたが、南スーダンはオスマントルコがおさえています。
5年程度でアフリカ横断を成し遂げられれば、アフリカの赤道以南はわが国のものです。
アフリカ南部はイギリスの展開がなぜか遅いので、1年ほどは遅らせても問題ありません。
この方面へは、ナミビア南部への海上植民よりふつうに陸上植民で進んでいくほうがよいと思います。
70年代はヨーロッパで戦争が激しくなるためか、アフリカから関心が薄れるようです。
どんどん植民していきましょう。
アフリカ南部はほぼ全域がわが国の領土となりました。
エティオピアとの国境地帯にある地方(オガデン?)だけが残りましたが、これはわが国とエティオピアしか手が出せない状態なので、事実上、わが国が植民地として得ることになるでしょう。
赤道アフリカもほとんどがわが国の植民地となりました。
西アフリカの沿岸のほうはまだ無主地がありますが、陸上ではオスマントルコやフランスに阻害されてこれ以上は進出できません。
西海岸側に軍港が完成すれば植民自体は可能ですが、フランスやイギリスなどが見逃さないことでしょう。
ちょっかいをかけてうまくいけばしめしめ、というところなのですが…。
不要です。
おそらくアフリカ方面が終わってもフィジーやトラックなどが残っていることが多く、そう焦る必要はありません。(ここらへんはだいたいオランダやスペインがさらっていくことが多いが。)
本土に近いウェーキをどうするか…というところでしょうか。
それ以外は「あまってた、ラッキー」ぐらいで問題ありません。
アメリカと本気の戦争をしたいのでなければ、そう必要でもないですね。
(HoIほど戦争による領土獲得が簡単ではないので、無理をする必要はまったくない。
パナマが取れれば太平洋の小島なんてどうでもいいし…。)
前:プレ八紘一宇-とりあえず、朝鮮をなんとかしたい/1867年から1872年まで
次:プレ八紘一宇-とりあえず、朝鮮をなんとかしたい/1880年から1885年まで?