ポーランドはいまだ滅びず

ポーランドいまだ滅びず第六話 

 
 
いかなる敵に奪われても
われ等は剣にて奪い返す
   ~「ドンブロフスキのマズルカ」より~
      (後のポーランド国歌)
 
 

1889年11月11日 

 
 
mu.JPG

諸君、準備が整った。

 
 
mu.JPG

これより対オーストリア戦を開始する

 
 
mu.JPG

戦力はほぼ互角と見るが。。。まあいいだろう。前進せよ!

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

・・・しかしアレだな。

 
 
bu1.JPG

 
 
mu.JPG

今日は89年の11月11日か。運命的なものを感じるな。

 
 
bu1.JPG

はぁ?。

 
 
mu.JPG

いや、なんでもない。なんか、こう、30年以内に祖国を復活させないと意味が無いように思えてきた。

 
 
bu1.JPG

ところで大佐、飛び地となっている東スイスに当然敵の大軍が押し寄せてくると予想されますが。

 
 
mu.JPG

うむ。前回までのプロイセン戦のように役に立ってくれるだろう。

 
 
bu1.JPG

その東スイスに3個旅団9000人ほどいるようですが。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

ああ、そのことなら問題ない。

 
 
mu.JPG

彼等なら敵地を踏破してわれ等に合流してくれるだろう。

 
 
 
郷土防衛のために徴兵されたスイス人部隊があった。
彼等は明日にも始まる戦争を前に、家族を、郷土を護るために日々訓練に励んでいた。
ただ、彼等の元に届いた一通の非情な命令書

-「スイスを放棄し、敵中を突破し友軍に合流せよ」

彼等は迷った。高級将校は涙をのみ、下級士官は壁を殴った。
下士官は酒場で暴れ、兵士は脱走の動きを見せた。

そして憲兵隊との軋轢、総督との交渉もあった。
だが彼等は結局命令に従い、一致団結して北方へ進軍した。

補給もなく、地図もまともに整っていない敵地を突破し数百キロ離れた異民族の友軍のために-

 
 
mu.JPG

どうだ、全ポーランドが泣くストーリーだろう?最高のショーだと思わんかね?

 
 
bu1.JPG

大佐、それが言いたいためにスイスで陸軍を編成したんですか?

 
 
mu.JPG

いや、間違ってクリックをしてしまったんだ。少し反省している。

 
 
bu1.JPG

ちなみに、後日談ですが、この3個旅団、無事とは言いませんが、無事に本隊と合流しております。

 
 

1889年12月5日

 
 
bu2.JPG

順調に侵攻中です。

 
nolink
 
 
 
bu2.JPG

西部では、敵ながらバイエルンがいい働きをしております。

 
nolink
 
 
 
bu2.JPG

東スイスは予想以上に大量の敵軍を集めてくれております。

 
 
 
nolink
 

1889年12月21日

 
 
bu1.JPG

敵軍がラインをしいていて包囲に手間取っています。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

隙間を見つけるのが大変になってきたな。

 
 
 
 

1890年1月2日

 
 
bu1.JPG

せっかく包囲したバイエルン軍が中立国を通ってくらいついてきました。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

バイエルンのくせに生意気な!奴等を生かしておけんな。

 
 
 
bu1.JPG

主な戦線では各所で包囲網を構築中です。

 
 
 
nolink
 

1890年1月9日

 
 
bu2.JPG

大佐、ロシアが総動員を行ったようです。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

なに?相手はどこだ?

 
 
bu2.JPG

日本です。北海道を狙っているようです。

 
 
mu.JPG

戦費を援助しろ。敵の敵は味方だ。

 
 
bu2.JPG

そんなこと無いでしょ。現に、以前大佐が心の友と言った国と戦っているじゃないですか。

 
 
mu.JPG

・・・・・

 
 
mu.JPG

訂正しよう。

 
 
mu.JPG

少しでも長くヒグマさんと殴り合ってほしい。

 
 
mu.JPG

我々が背後を刺せるまで・・・・

 
 
bu2.JPG

やっぱそれですか。

 
 

1890年1月24日

 
 
bu1.JPG

敵が固まってきました。順調に包囲しております。抵抗も弱まりつつあります。

 
 
 
nolink
 

1890年2月24日

 
 
bu1.JPG

敵軍はほぼ出尽くしたようです。各所で包囲殲滅中です。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

勝利は近い!、従卒、シャンパンをもってこい!

 
 

1890年3月26日

 
 
bu1.JPG

東スイスを占領した敵軍がちょろちょろと出てきました。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

ひるむな、敵ではないわ。

 
 

1890年4月2日

 
 
bu1.JPG

広いですね。

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

薄くてもかまわん。敵全土に展開するんだ。

 
 

1890年7月5日

 
 
bu1.JPG

オーストリアの取り巻きがウザかったので踏み潰しました。

 
nolink
 
 
 
bu1.JPG

そのせいで若干展開が遅れております。

 
 

1891年6月8日

 
 
bu1.JPG

やっと全土占領しました。

 
nolink
 
 
 
bu1.JPG

オーストリアに占領された旧領全て回収できます。

 
 
mu.JPG

おおお!

 
 
mu.JPG

戦争2回は覚悟したのだが、こうもうまくいくとは!

 
 

1891年8月17日

 
 
bu2.JPG

全軍撤収し、次戦の位置に待機ました。

 
 
bu2.JPG

先ほどオーストリア皇帝に送った使者が戻ってきました!和平成立です!

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

よし、我々に時間はあまり残されていない。

 
 
mu.JPG

準備を進めろ。

 
 
mu.JPG

・・・しかし、地政学的にあってはならん形だな。

 
 

クラクフ 議会にて

 
nolink
 
 
 
mu.JPG

・・・というわけで予定より早めにオーストリア戦争が終結しました。順調に祖国奪回計画は推移しております。

 
 
mu.JPG

以上、報告を終わります。

 
 

クラクフ 旧王宮 地下某所

 
nolink
 
 
 
material.JPG

聞いたぞ。順調でなによりだ。

 
 
mu.JPG

なんとかやっております。

 
 
material.JPG

次はこれまでのように行かんぞ。

 
 
mu.JPG

承知しております。

 
 
bu1.JPG

こうして予想より早くオーストリアとの闘いは終わりました。

 
 
bu1.JPG

次なる敵はあの北のヒグマとの殴り合いです。

 
 
bu1.JPG

問題は国力の差がかなりあることです。

 
 
bu1.JPG

ただし、その差を埋める時間はあまり残されていません。

 
 
bu1.JPG

単身突撃か、外交で仲間を見つけるか?はたまた・・・

 
 

ポーランドはいまだ滅びず


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS