[[ノルマン帝国戦記]]

※[[ノルマン帝国戦記/石油と電気の80年代]]から分割しました。
*戦争前 [#l3c298e0]
屈辱CBを獲得したスカンディナヴィアは、早速プロイセンに宣戦布告した。

恐らくここまでで最大の会戦となるであろうこの戦い。
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スカンディナヴィア側の第1次戦力、21万5000人。予備兵15万以上((91(27万3000人)とあるが、これは飛び地の本国領も含む数。))。

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対しプロイセンの総戦力、11万1000人。予備兵含めると30万程度と見込まれる。
海軍の数は192と多い。これが全て蒸気船ならIronclad軍団でも勝ち目はないと思う。
プロイセンごときがCruiserとIronclad、Monitor無双をするとは思えないが・・・

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開戦直前の順位。
*いざ開戦! [#e6aada7a]
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\デーーーーーーン/
1881年12月6日、我が国はついにプロイセンに宣戦布告した。
何せ我が国の初期兵力は21万5000ですよ!ノルマンディー上陸作戦(の初期)よりも多いのですよ!

兵士A「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ。」
兵士B「クリスマスまでには((事実上16日。))帰れるだろう」

しかし(当然と言えば当然ですが)クリスマスまでに帰れるはずもなく・・・

翌2月には早くも人口4万6000人のローエンブルグ((ホルシュタインはプ(ryの勢力下ですが我がスカンディナヴィアの衛星国なので、中立国))で早くも100K同士の会戦が。人口の5倍が一つの都市に集まるわけですから。ちなみに我が軍の大将はモラル+20%なのでご安心を。

ちなみにここで予備兵調達を行いました。計15万人規模は見込めます。
兵士A「ウヴォアアアアアアアアアア」
兵士B「来年のクリスマスには・・・」
兵士C「愛する妹の結婚式があるんだ!」
将校D「戦場で家族の話をするな。家が恋しくなるだろ」

後に77師団vs60師団の対決になりましたが勝ちましたよ。騎兵と砲兵がたくさんいる我が軍に敵うものなどありませんからな。

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((セーブリロードしまくりで守備に回りましたが最初は攻撃。リセットされるバグがあるんですかね。まあ損害数で相手が上回った数少ない戦いです。))

また5月にも大規模会戦が。で、まあそんなこんなで6月までにプロイセン軍100個師団・30万人はバルト海のもずく、もとい藻屑になりました。

まあ後は塗り絵。塗り絵中に返り討ちに遭って20師団くらい失いましたが、あとは順調。

最終的に屈辱を認める、そしてリトアニアにオストプロイセン割譲で独立、ポーランドにシレジェン割譲で独立、で終戦。
ついでにダンツィヒも独立しました。

シレジェンは1.17M、リトアニアは578K、ダンツィヒは36K。約1.8Mの人口をプロイセンは失うこととなった。

ちなみにこの2年でプロイセンは100K増えているが、その前の2年は280K増えていた。民族自決のための犠牲なら仕方ない。

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20世紀は民族主義の世紀です。ノルマンとバルトはどんどん独立してもらいましょう。
終戦は1883年12月1日。約2年弱。クリスマスまでに終わらせました!!(1881年のとは言ってない)

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ちなみに当然と言えば当然ですがプロイセンの海軍は初期のままでした。
マンノウォーは我がアイロンクラッド海軍が打ち崩せると勘違いしたのでしょうか。
マンノウォーで我がアイロンクラッド海軍が打ち崩せると勘違いしたのでしょうか。
・・・工業では上回っていますが。

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終戦直後の順位。プロイセンの総合点が大きく落ちている。スペインとなんと8点差。
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TIME:"2015-10-15 (木) 18:35:31"

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