[[AAR/初心者のオレンジ自由国]]
**オレンジ自由国の躍進 [#qbed4e92]
前回エチオピアからNegeleを獲得したオレンジ自由国なんでこんなところを獲得したのかというと、御存知の方も多いと思うが、エチオピア付近には1870年のガトリングガンを得ずとも殖民できる場所があるのだ。(単純にエチオピアの人口の多さは強力だが)
さらに、殖民できる土地がかなり人口豊かである。
さらに、研究点蓄積・解放による名声を得にくいAHDでは殖民による名声は小国が列強下位に食い込むためにバカにできない効果をもたらす。
というわけで早速殖民開始・・・・
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#br
できねえ・・・
Liferating30だったことすっかり忘れてた。
そう、エチオピア周辺の殖民可能地域は技術無しでは開発できないのだ。
ついでなのでLiferatingについて説明しておく。
初期状態ではLiferating35以上の地域にしか殖民できない、これは北米などの一部にしかない。しかし最終的にはLiferating10以上の土地、つまり多分全ての土地に移民できるようになるのだ。これには技術が多く関わっている技術に応じて最低Liferatingが改善されるのだ。具体的には
Medicineに付随する発明で5
Nationalism & Imperialismで10
Machine gunsで10
となる、実質Liferate15以下の土地の入植にはMachine gunsが必要であり。この技術は1870年解禁のため、1870年から本格的な入植が可能になるといえる。ついでに準列強以上じゃないと入植できない。
**戦争戦略 [#qbed4e92]
さて、話がそれたがそろそろ次の獲物を定めることにする。
最初はエジプト南部がほしくて攻め込んだ、余裕だとおもった、気づいたら米・英・仏に介入されて詰んだ。
また話がそれるが、列強は影響圏といって列強以外の国家に影響を与え、準衛星国みたいなのを創りだすことができる、その影響がある程度以上(Friendly以上)だとその国の戦争に介入できるようになるのだ。
今回はエジプトで米・英・仏が激しい影響圏のデッドヒートを繰り広げていたらしい・・・すっかり影響圏のことなど忘れていた。みんなは気をつけるんだぞ・・・!戦争の前には影響度チェックだ、いいな!
というわけでエジプトのことをなかったコトにしてやり直し、ソコトを攻めることにする。
ソコトは結構な人口を持ち、石炭等も出し、Liferating30の未入植地も1つ周辺に持っている。エチオピアとならぶアフリカ進出の拠点だ。ただし、結構強いことには注意が必要である・・・勝てるかな?
というわけでWarJustificationは毎回書くのは面倒なのですっ飛ばし、宣戦布告だ!
とおもったら即効でバレてInfamy4.9獲得、ついてねえなあ。
**オレンジ-ソコト戦争 [#qbed4e92]
1852年12月26日、オレンジ自由国はソコトに領土割譲を求めて宣戦布告した。
ちなみにソコトまではエチオピアから歩いてきた。意外と損傷しないもんだね。
初期投入戦力は1万8千人、対するソコトは2万4千人で、なんだか騎兵や正規兵が見える、まともにぶつかるのはやばそうだ。
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#br
というわけでいつもの戦術を取る、牽制だ!
戦争最中の1853年3月4日、ついにMedicine付随技術のマラリア予防薬?みたいな感じの発明を獲得、早速Negeleに殖民開始。
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#br
8月17日の戦況、GombeとJosで敵主力をひきつけつつ戦争を継続。増援でこちらの戦力は3万人、戦えば勝てるだろうが無駄な戦いはしなくてもかてるだろう。この頃Cheap Ironの研究が完了したのでそろそろ陸軍技術も・・・とおもいMuzzle-loaded Riflesの研究を開始、戦争もうおわりそうだけどね。
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#br
10月16日の戦況、Josの部隊をZariaに移動、ちょっと大丈夫かと内心ひやっとしたがうまく封じ込めれてるようだ。
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#br
10月31日、Lokojaの占領をもってソコトが和平に応じるようになる。オレンジ自由国はソコトよりZariaを獲得した。成人人口50万人増えた、おいしいなあ。
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#br
**再び内政 [#qbed4e92]
Infamyもそこそこあるし、また休戦が切れた頃にエチオピアとソコトをいただくことにして内政に励むことにする。
1854年7月2日
とりあえずNegele殖民完了、30万人成人人口増加、そして作成可能旅団数もどんどん増加して29に。そのまま隣のWerderに殖民開始。この頃研究が終わるが。急激な人口増加に軍事費がおいつかない、財政改善のためPower系列3段目のHigh and Low Press(ryを研究開始。
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#br
ところで初期から作ってた工場が完成したので覗いてみると・・・人いねえ・・・なんじゃこりゃ、全然工員増えないなあ全部あわせて100人くらいだった、小国ってこんなもんなの?
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#br
1855年8月23日
Werder殖民完了、どんどん人と威信が増えていく、これだから殖民はやめられない。
ちゃんと兵士おいてたら1年くらいで殖民完了できるみたいだなあ。
そのままZaria東部のKukaに入植開始。
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#br
1856年7月17日
前のが終わって財政がちょっとよくなったので、「あること」を見込んでNationalism & Imperialismの研究を開始。これには殖民の条件でもあるが、もう1つ素晴らしい効果があるのだ。
1856年9月30日
Kukaへの入植が完了。もう入植することもないのでウルンジを本国ステート化するために官僚のNFを行う。
1857年3月28日
工場を増やして工員が増えるとも思えないが鉄鋼工場を建設開始。
**世界が認めたオレンジ自由国 [#qbed4e92]
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#br
1857年5月16日オレンジ自由国が列強となる。やっほう!
とはいえ列強下位は結構アッサリ脱落するから注意が必要だ・・・
しかし思惑通り列強になれた、これはうまくいき過ぎてるくらいだ。
すぐ脱落しそうではあるが・・・まあ一応影響圏設定しとこう。とはいえアフリカの国家はしょっぱいのしか残ってないから・・・と色々見たところ。
オスマンがフリーだったのでオスマンそして日本と、近くにいたオマーンにでも適当に注いでおく。
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#br
1857年8月4日、エチオピアとの休戦条約が切れる。が、まだなにもしない。
1858年8月27日、Nationalism and Imperialismの研究完了・・・ようやくだ。大体の人はわかってると思うがこれの研究完了を待っていた。
保護国化のCBは通常ならば1ステート国家しか併合できない、しかし、列強で、かつNationalism and Imperialismの研究が完了していればなんと4ステート以下の国家を一発併合できるのだ!早速War Justification。
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#br
11月24日にバレる、がコストはたったのInfamy2.7どうやらNationalism and ImperialismにはCB製作速度向上の効果もあるようだ。
**エチオピア侵略 [#qbed4e92]
1858年12月25日クリスマスにオレンジ自由国はエチオピアに宣戦布告。
1859年1月9日の戦況、5年の内政期間のうちに列強にまで上り詰めたオレンジ自由国の強力な軍勢がなだれこんでいる。あきらかに過剰戦力。
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#br
1月25日、エチオピア軍Gonderにて玉砕。
7月25日、全土占領完了、特に見るべき場面もなくエチオピアは消え去った。
すっかり忘れてたがEarly Railroadを8月頃に研究完了した、丘陵に鉄道が引けるようになるが、次の研究は始めず研究点をためておく。
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#br
**ソコト侵略 [#qbed4e92]
1859年11月6日ソコトに保護国化のWar Justification。ちなみにソコトはもともと5ステートなので1ステート切り取っておかないと保護国化できないので注意だ。
いつ頃だったか半分ほどでバレ、Infamy5ほど獲得
1860年1月1日Empiricism研究開始。Idealismの次の研究で、Idealism同様研究点が増える、そのために貯めていた。
2月27日ソコトに宣戦布告。
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3月6日ソコトの全兵力1万5千人と首都ソコトで戦闘開始。3月20日、ソコト軍玉砕。
8月25日、ソコトの全土を占領、和平。
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#br
成人男性人口は376万人に達した。Infamyは16点、強いぞオレンジ自由国!
ちなみにこれが現在のオレンジ自由国全領土、なんか気持ち悪い分布してんなあ・・・
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**オレンジ-オマーン戦争 [#qbed4e92]
1860年8月25日
なんかInfamyに余裕あったのでとりあえずオマーンからモンバサをぶんどることにする。
9月10日、バレてInfamy4.3もらう。
11月4日、フランスがマダガスカル併合、忌々しい。といいつつ余った外交点は他列強の関係改善につかってるので友好度は200点満点である。
1861年1月10日、オマーンに宣戦布告(安定の徒歩で移動である)
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4月8日、そろそろ殖民用技術のためにBreech-loaded Riflesの研究開始、これは歩兵の攻撃力があがり、自国文化の人しかなれないが強力な近衛兵を作ることができるようになる。
5月7日、列強となって結構経つがずっと放置されてたオレンジ自由国にオーストリアから同盟の誘いが、即座にOK!
5月29日、オスマンが影響圏に入れれるようになったので入れとく。
10月31日、いつのまにか占領終わってた。モンバサをもらっとく(SSとり忘れた)
**大殖民時代に向けて [#qbed4e92]
1862年5月31日、我らが祖国が影響圏入り。
ちなみに影響圏にいれとくと、戦争への介入の他に確実に同盟できたり、優先取引権などがあるらしい。
8月9日、お金がやっぱりなくなってきたのでSteam Turbineの研究開始。
1863年5月28日、なんかオーストリアがババリア攻めて北ドイツ連邦と戦争してる、同盟の要請もこなかったし放置。いつの間にか痛み分けで終わってた。
7月20日、お金が底をつきかける、国家備蓄も0だし防衛費も50%でとめてるのに・・・しかたないので資本家への増税で乗り切る。
この頃フランスとロシアに激しくオスマンへの影響圏の奪い合いが始まる。
1864年1月23日、影響圏から外される、こりゃ無理だ。
ちなみに影響度には友好度・距離・同じ大陸の国家かどうか、技術(Market Functionary系列)、そしてAHDからは資本投資量が影響を受ける。オスマンは別大陸国家扱いなのでかなり分が悪いのだ。
そこでオスマンの代わりを探すと・・・お、Yunnanがフリーじゃないか。
Yunnanは中国のサブステートの1つだ。AHDでは中国は沿岸部の中華帝国と、ソレ以外のいくつかのサブステートに分けられている。これによって一発で中国全土を影響権にいれることはできなくなった。ちなみに韓国も属国扱い(ただしサブステートと違いFree peopleをすることができる)になっているため日本プレイは難しくなってそうだ。色が見にくいけどこんな感じ。
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#br
サブステートは分割不可の特殊な属国だけど一応中華帝国にサブステートのRegionを要求することができる・・・が、なぜか先進国に対する領土要求と同じでInfamy11だ、Demand ConcessionでもサブステートのRegionを要求できるのだろうか・・・?
というわけでYunnanに影響を注ぐ。
1864年4月24日、やっぱりお金がないのでCheap Steelの研究開始、ここまでくると効果あるのかあやしいもんだよ、治金技術・・・
日本に影響度でちょっかいをかけてきたアメリカを追い払ったり、この頃は結構激しい外交戦争が起こっている。
1865年11月7日Market Structureの研究開始。影響度維持厳しかったし、なんか財政改善効果もあるので超おいしい技術だということに気づいた。相変わらず外交戦が面倒だ、ロシアの外交官を追放っと・・・
1866年8月28日Business Regulationの研究開始、これも前のほどじゃないけど財政改善効果つき。
1867年9月10日、Iron Railroadの研究開始。
11月5日、イギリスがリベリアをめぐってアメリカと戦争開始
11月11日、なんか休戦切れてたからもうちょっと領土もらおうかとオマーンに宣戦布告・・・したら併合可能だったので併合目的でJustify War。
1868年2月25日、ついにウルンジで自国文化の官僚人口が1%を超える、早速ステート化、なぜかステート化後に財政が大幅に改善された、なんで?
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3月13日、オマーンに宣戦布告・・・あれ?CB製作バレなかった、Infamy0、こりゃうまい。
3月31日、Yunnanを影響圏に。
8月13日、オマーン死す、あまりに見所なくてSSとり忘れてた。ついでにイエメンにWar Justification。
10月11日、バレる、そりゃそうそうタダでゲットはできないか、Infamy5.3獲得。
11月21日、Iron Railroadが終わったので戦闘力増加を期待してArmy Professionalism研究開始。ついでにいつのまにか実行可能になってた王の谷のDicisionを発動、威信ゲットかー。ついでにこの時点での改革状況。
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1868年11月25日、イエメンに宣戦布告
1869年7月22日、Army Professionalismの研究が終わったので研究点をためておく。
1869年11月14日、戦争が終わらないとおもったらソマリア沖にイエメンの島が・・・なんというトラップ。みんなも僻地や飛び地にきをつけような!
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#br
1870年1月1日、Machinguns研究開始。
4月26日、イエメン併合。
今回はここまで!
次回は多分大植民時代だ!

TIME:"2012-03-09 (金) 23:36:08"

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