**アフリカ分割までのダイジェスト [#s9274b63] 60年代 日本を植民地化できないフラストレーションをブルネイやバリ、シャムにぶつけながら、 アフリカ分割までの時間を潰す。national focusはやっと2ポイントとなったが、 3ポイント、4ポイントにいつなれるかは全く見当がつかない。 ジャワ島などのステート化はようやく目星が付いたところ。 政治改革が連発できるようになったため、調子に乗って報道の自由化をしたところ、社会主義勢力が伸張するようになった。 アメリカはBorder Incidentでイギリスから領土戦争を吹っかけられ、南北戦争が起こらなかった。 イギリスが空気呼んで南北戦争が始まってから宣戦布告すれば、面白いことになったのだが... 70年代 machine gunが解禁されとうとうアフリカ分割が始まった。ジャワ島のステート化にようやく漕ぎ着けたが、national focusは2ポイントのままと不安が大きかった。 幸いにも他列強の動きが遅く、national focusがその後同化によりどんどん増え続けたため、最終的にはアフリカ、太平洋諸島の大半のステート植民地化に成功した。 内容は実質オランダの一人勝ちなので割愛する。またジャワ島のステート化直後の選挙では社会主義政党が勝利し、以後共産主義政党と政権を分け合った。 80年代 #ref(オランダ植民記3.jpg,,nolink) #ref(オランダ植民記4.jpg,,nolink) セーブデータの残っていた1880年の世界 イギリスのインドステート化による工業力ブーストが始まりつつある。 アメリカがメキシコ領内の中核州奪取のための戦争を断続的に起こすようになった。 オランダは資金援助により、メキシコをバックアップしたが、残念ながらメキシコはアメリカの中核州を放棄し、 さらにはアメリカの中核州ではない2ステートまで献上を強いられ、90年頃に列強より脱落した。 また60年代から断続的に進行していたロシアのペルシアに対する領土戦争は、70年代に入ってフランス、トルコの介入まで招き、 ペルシアは一発植民地化可能な4ステート国家にまで落ちぶれた。ペルシアは領土を失い進行不可の内陸国家になったが、 幸いにも忠実なる同盟国オスマントルコがオランダに軍事通行権を許可してくれたので、オランダはこれを併合することができた。 またいつの間にかアフリカにコンゴ自由国がプロイセンの傀儡国家として成立した。 先にコンゴ自由国の中核州を奪っておけばコンゴ自由国のイベントが不発になると高をくくっていたが、残念ながら問答無用で、発動するらしい。 このために植民地として開拓した領地をコンゴに奪われることとなってしまった。オランダ人を返して欲しい。 #ref(オランダ植民記5.jpg,,nolink) **日本の植民地化 [#s9274b63] 85年になってようやく日本植民地化の準備が整った。軍事技術の研究を十分に進め、他列強の影響力を排除した。 特にFriendlyの関係にまで達していた英露はOpposedにまで下げておいた。日本は一発植民地化ができず、 4ステート割譲させた後5年間待つ必要があり、その間に日本に関心を持つ英露の介入を防ぐためである。 また中国との同盟は、日本が対英戦争への参戦要請を断って以来失効している。 例によってジャワ人兵が九州と北海道に上陸。海峡の封鎖により敵を分断するハメ技を用いて、 保有する230ユニットの大半を磨り潰した。日本は8ステート国家なのでそのうちの4ステートを割譲させた後、 和平失効後に再度宣戦布告しこれを併合した。ただしinfamyの関係上、日本の完全植民地化は1895年まで持ち越されることとなった。 #ref(オランダ植民記6.jpg,,nolink) 日本人はliteracyが高いため良く同化してくれる。 #ref(オランダ植民記7.jpeg,,nolink) #ref(オランダ植民記7.jpg,,nolink) #ref(オランダ植民記8.jpg,,nolink) 日本併合直後の1895年の世界 千島はロシアとの不毛な衝突を避けるため譲った。 **工業点で列強一位に! [#s9274b63] 社会主義勢力の伸張により、医療福祉政策が充実して人口増加率が格段にアップした。 するとオランダ本国のRGOが満杯になり大量のオランダ人POPが植民地、海外に流出し、次々に植民地のステート化に成功した。 と同時にRGOから追い出された職を失った農夫POPは次々と工員、兵士へ変換、あるいは国外移民し、工業点、軍事点が急上昇し始めた。 いよいよラストスパートでる。 #ref(オランダ植民記9.jpg,,nolink) 工員が余る限り、工場を増設し続けること20年、1920年に遂にオランダは列強一位となった。 オランダのProductionタブは以下のようになっている。 #ref(オランダ植民記10.jpg,,nolink) では対するイギリスはどうなっているのか?なぜ工業点が伸び悩んでいるのだろうか? イギリスでゲームを開始すると意外な事実が明かとなった。 #ref(オランダ植民記11.jpg,,nolink) 失業した工員がいるのにも拘らず真面目に工場を増設しようとせず、それどころか自由主義政権時代に閉鎖された工場をそのままにしている。 これでは工業点が伸び悩むのも当たり前ではないか、イギリスには勝ったものの素直には喜べそうにない。 **その後プレイ終了まで [#s9274b63] その後もオランダの工業力は順調に伸び続けた。しかし実態は工業点のためだけの投売り状態で、赤字工場が続発。 資本家の少ないステートでは自動車、飛行機、電話、電気部品工場も赤字となるものがあった。 プレイ環境も快適とは到底言えない状況なので、34年7月オランダのポイントがイギリスのポイントの二倍となった時点で終了した。 #ref(オランダ植民記12.jpg,,nolink) #ref(オランダ植民記13.jpg,,nolink) ゲーム終了時の世界 コンゴは革命によりプロイセンの傀儡下から脱したので併合した。 中国が文明化して列強入りしているが、そのほかエジプト、パンジャブが文明化に成功している。 #ref(オランダ植民記14.jpg,,nolink) 末期の人口構成はこの通り。働き場が国内に無いためPOPが次々と国外移民している。 アメリカに移民者が居ないのは、アメリカにも働き場がないためであろう。 [[AAR/オランダ植民記]]に戻り苦情を訴える TIME:"2010-11-06 (土) 03:12:23"