手術準備と緊急手術(1836~1846)
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**予算 [#ob4b7b73] まず、予算は税金が下流層から富裕層までMAX。 財政が落ち着いてきたら中流層→下流層の順番で落とします。 富裕層は貴族にできるだけお亡くなりになっていただきたいので当分下げません。 支出については軍事費以外はMAX。 軍事費については戦争しそうなときで50%。 しないときで20~30%程度に抑えておきます。 関税もMAXで。 それでも予算はマイナス。瀕死だ。 **技術 [#e32d9d58] ということで技術は『取引の自由』から。 その後は『マルサス理論』→『イデオロギー思想』→『観念論』→『実証主義』→『基礎化学』 威信を上げて早いところ技術運営を『軍産複合体』切り替えなくては… 文化研究進まないでしょうねこれ。 **外交 [#xc8d856f] とりあえず大国とやりあえるわけもないのでロシアとオーストリアに同盟。 開戦の正当化は両シチリアにステート要求。 影響圏はカラートとペルシア。 この辺りは割りと鉄板のような気がします。 研究力を上げるために両シチリア。 よく戦争をふっかけられるロシアとオーストリアに同盟。 兵力を増やす為にパンジャブへの道を作る影響圏。 **軍事 [#nca5cde9] 海軍は武装帆船のみ解体。 非正規兵もアフリカの分を除いて解体。 あとは輸送船を10追加。 海軍はできるだけ縮小しないと予算が持たないので。 あとはBBRの問題で両シチリアとパンジャブの併合でカツカツなんですよね。 トリポリ方面は騎兵を敵にぶつけて非正規兵で占領を繰り返せば自然に取れると思います。 その後やはり解体の運命ですが。 あとNFは当然人口の多い2箇所で聖職者を突っ込みます。 ここまで1月1日に進めて、さぁゲームスタート。 **第一次両シチリア征服戦争 [#l873d662] 1836年11月27日 BBRは5ほどで大義名分を獲得。 兵をギリシャ国境に集めてシシリーに上陸作戦を開始。 南イタリアからシシリーに上陸する場合ナポリ湾を海上封鎖しておけば陸伝いで上陸されることはないので占領が楽なのは言うに及ばず。 ただもう一歩先を行かなければ完全併合は程遠い、ということで。 #br #ref(1k.jpg,nolink) #Br #ref(2k.jpg,nolink) #br メッシーナ海峡に移動しシシリーに敵を誘引し、逃がさないように再びナポリ湾に海上封鎖、そして相手を全力で叩く。 そう、パラドゲー名物のシチリアホイホイである。 殲滅後は全土占領に動いてシシリー、プッリャの2ステート獲得で和平。 1837年10月上旬には片がついた。 識字率も7.8%→12.2%と大幅に修正。 次の戦争まであと5年といったところだが、時間がもったいない。 エジプト戦へと移行しよう。 **エジプト戦 [#kea0b5b8] 内政としては陸軍は歩兵を限界まで作る。海軍はフリゲード船を3隻残して削除。 NFをプッリャとシシリーに付け替え。 一応決断で学会の復興で『軍産複合体』を削除。 1839年3月20日 目標は全中核州の回収で宣戦布告。 海軍の上陸を主にいきなりカイロに乗り込む。 ここでもカイロの兵をできるだけ殲滅するように動きます。 将軍付きの第1軍をとにかくぶつけることと、騎兵がオスマンには結構いるのでそれで包囲を試み続ける。 中核州の占領は兵が足りないので動員兵を使って占領。 動員は中核州方面が全部占領できたら解除します。 動員すれば予算はマイナスなので。 主力は南下し、アフリカ各地の占領に力を入れる。 1840年5月下旬には和平完了。 この後海軍は輸送船を残して全部解体。 **モロッコ戦と外交 [#v8490f19] この時BBRは約12。 大分余力がある。 オスマン帝国の奥義の一つ国家解放でキプロス、グルジアを解放すれば10はBBRが下がる計算になる。 ということで、ここは将来の植民地を見込んでモロッコの租界獲得に動きます。 アフリカに関してはソコト+エチオピアが鉄板ですが、NFや国の予算などに余力がある場合は、モロッコ+オマーンの方がBBR的にも楽だし海岸線の占領がスムーズに行くのでオススメしたいです。 ということで影響圏をネジドとエジプトに移して、オマーンの道を作り、モロッコへの宣戦布告に動きます。 ちなみに外交点は大国の友好関係を上げ続けています。 影響圏はこの後使い道が余りないので中国、日本、パンジャブに振ってアジアの囲い込みに使います。 1841年11月5日宣戦布告。 BBRは4.2。 1842年10月下旬にはタザを獲得しました。海岸線のアガディールには早速軍港を作っておきます。 **第二次両シチリア征服戦争 [#s5f0048e] モロッコとの戦争が終わったタイミングで両シチリアとの休戦条約が切れたので早速宣戦の準備。 BBRは約14。 1843年10月18日宣戦布告。 1844年4月上旬併合。 NFはカンパニアに付け替える。 と、いった具合で最後はまとめの表だけを上げて1846年を終わります。 **まとめ [#h2f3c903] ||1836年|1846年| |威信|40|137(2位)| |工業力|0|6(7位)| |軍事力|65|31(11位)| |識字率|7.8%|18.1%(29位)| |研究点|4.92|13.34| |成人男性人口|5.10M|8.04M(8位)| |全人口に対するトルコ人比率|36.2%|26.62%| |旅団数|46|23(12位)| |艦船|25|13(10位)| |BBR|0|14.61| 威信がエジプト中核州を獲得したおかげでだいぶ伸びています。 後は識字率倍以上。 とりあえずの緊急手術は終えたといったところ? [[術後経過(1847~1866)]]
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**予算 [#ob4b7b73] まず、予算は税金が下流層から富裕層までMAX。 財政が落ち着いてきたら中流層→下流層の順番で落とします。 富裕層は貴族にできるだけお亡くなりになっていただきたいので当分下げません。 支出については軍事費以外はMAX。 軍事費については戦争しそうなときで50%。 しないときで20~30%程度に抑えておきます。 関税もMAXで。 それでも予算はマイナス。瀕死だ。 **技術 [#e32d9d58] ということで技術は『取引の自由』から。 その後は『マルサス理論』→『イデオロギー思想』→『観念論』→『実証主義』→『基礎化学』 威信を上げて早いところ技術運営を『軍産複合体』切り替えなくては… 文化研究進まないでしょうねこれ。 **外交 [#xc8d856f] とりあえず大国とやりあえるわけもないのでロシアとオーストリアに同盟。 開戦の正当化は両シチリアにステート要求。 影響圏はカラートとペルシア。 この辺りは割りと鉄板のような気がします。 研究力を上げるために両シチリア。 よく戦争をふっかけられるロシアとオーストリアに同盟。 兵力を増やす為にパンジャブへの道を作る影響圏。 **軍事 [#nca5cde9] 海軍は武装帆船のみ解体。 非正規兵もアフリカの分を除いて解体。 あとは輸送船を10追加。 海軍はできるだけ縮小しないと予算が持たないので。 あとはBBRの問題で両シチリアとパンジャブの併合でカツカツなんですよね。 トリポリ方面は騎兵を敵にぶつけて非正規兵で占領を繰り返せば自然に取れると思います。 その後やはり解体の運命ですが。 あとNFは当然人口の多い2箇所で聖職者を突っ込みます。 ここまで1月1日に進めて、さぁゲームスタート。 **第一次両シチリア征服戦争 [#l873d662] 1836年11月27日 BBRは5ほどで大義名分を獲得。 兵をギリシャ国境に集めてシシリーに上陸作戦を開始。 南イタリアからシシリーに上陸する場合ナポリ湾を海上封鎖しておけば陸伝いで上陸されることはないので占領が楽なのは言うに及ばず。 ただもう一歩先を行かなければ完全併合は程遠い、ということで。 #br #ref(1k.jpg,nolink) #Br #ref(2k.jpg,nolink) #br メッシーナ海峡に移動しシシリーに敵を誘引し、逃がさないように再びナポリ湾に海上封鎖、そして相手を全力で叩く。 そう、パラドゲー名物のシチリアホイホイである。 殲滅後は全土占領に動いてシシリー、プッリャの2ステート獲得で和平。 1837年10月上旬には片がついた。 識字率も7.8%→12.2%と大幅に修正。 次の戦争まであと5年といったところだが、時間がもったいない。 エジプト戦へと移行しよう。 **エジプト戦 [#kea0b5b8] 内政としては陸軍は歩兵を限界まで作る。海軍はフリゲード船を3隻残して削除。 NFをプッリャとシシリーに付け替え。 一応決断で学会の復興で『軍産複合体』を削除。 1839年3月20日 目標は全中核州の回収で宣戦布告。 海軍の上陸を主にいきなりカイロに乗り込む。 ここでもカイロの兵をできるだけ殲滅するように動きます。 将軍付きの第1軍をとにかくぶつけることと、騎兵がオスマンには結構いるのでそれで包囲を試み続ける。 中核州の占領は兵が足りないので動員兵を使って占領。 動員は中核州方面が全部占領できたら解除します。 動員すれば予算はマイナスなので。 主力は南下し、アフリカ各地の占領に力を入れる。 1840年5月下旬には和平完了。 この後海軍は輸送船を残して全部解体。 **モロッコ戦と外交 [#v8490f19] この時BBRは約12。 大分余力がある。 オスマン帝国の奥義の一つ国家解放でキプロス、グルジアを解放すれば10はBBRが下がる計算になる。 ということで、ここは将来の植民地を見込んでモロッコの租界獲得に動きます。 アフリカに関してはソコト+エチオピアが鉄板ですが、NFや国の予算などに余力がある場合は、モロッコ+オマーンの方がBBR的にも楽だし海岸線の占領がスムーズに行くのでオススメしたいです。 ということで影響圏をネジドとエジプトに移して、オマーンの道を作り、モロッコへの宣戦布告に動きます。 ちなみに外交点は大国の友好関係を上げ続けています。 影響圏はこの後使い道が余りないので中国、日本、パンジャブに振ってアジアの囲い込みに使います。 1841年11月5日宣戦布告。 BBRは4.2。 1842年10月下旬にはタザを獲得しました。海岸線のアガディールには早速軍港を作っておきます。 **第二次両シチリア征服戦争 [#s5f0048e] モロッコとの戦争が終わったタイミングで両シチリアとの休戦条約が切れたので早速宣戦の準備。 BBRは約14。 1843年10月18日宣戦布告。 1844年4月上旬併合。 NFはカンパニアに付け替える。 と、いった具合で最後はまとめの表だけを上げて1846年を終わります。 **まとめ [#h2f3c903] ||1836年|1846年| |威信|40|137(2位)| |工業力|0|6(7位)| |軍事力|65|31(11位)| |識字率|7.8%|18.1%(29位)| |研究点|4.92|13.34| |成人男性人口|5.10M|8.04M(8位)| |全人口に対するトルコ人比率|36.2%|26.62%| |旅団数|46|23(12位)| |艦船|25|13(10位)| |BBR|0|14.61| 威信がエジプト中核州を獲得したおかげでだいぶ伸びています。 後は識字率倍以上。 とりあえずの緊急手術は終えたといったところ? [[術後経過(1847~1866)]]
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